自然とともに、すくすく。のびのび。
三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

5月の聖句

今月の聖句

「天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。」

ヨブ記 413

 

5月の聖句

季(とき)の移ろいは速く、花の盛りの頃の入園・進級式から1カ月足らず、若葉の候となって子どもたちも元気で明るいです。このお休みの間に年号も代わり、新しい時代へと移ります。

 さて、聖書(旧約39巻・新約27)は、一貫して「完全な知恵は神と共に在る」ことを教えています。神の知恵は、「ちまたで大声で叫び、広場でその声をあげ、騒がしい町かどで叫び、町の門の入り口で語りかける者」として人格化され、一人称でひとりひとりに呼び掛ける「ことば」として存在しています。(旧約聖書しんげん箴言12021節)人は、いつかどこかで、この知恵の呼びかけを受けることによって「いのちの道と死の道」のいずれかを選ぶ決断を自らしなければなりません。

 科学者の80%は神の存在、或いはグレートサムシング(Great Something)としての創造者の存在を信じています。宗教学、哲学、人類学や医学、心理学、歴史学などを通して人間とは何か、幸せとは何か、いのちとは何か、未来とは何か、と探求してきました。しかし、人間の知識で知り得る領域はまだまだ少しです。平和や救いについても何一つ正解を見い出し得ていません。
 人生の目的や意味について、答を得ているでしょうか?労働すること、富を得ること、名声を得ることなど考えてみて、そこに本当の価値を見い出すことが出来るでしょうか?正義について、自分の未来について「確か」と思えるものは何か。唯一つ、本当に存在するもの、それは「死」です。最後はその「確かなもの」の前で立ち止まってしまうのでしょうか。

 神さまは若者に向かって「あなたの若い日にあなたの創造主を覚えよ(コヘレトの書121)。」と呼びかけ、この勧告が空しくならないのは「神は人の心に永遠への思いを与えられた(311)。」と神御自身が、私たちをその母の胎内で組み立てられたとき、その魂に印しておいた「永遠への思い」に期待しておられます。

 イエスさまは、「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない(ヨハネによる福音書146)。」「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。命に通じる門は狭く、その道も細い。そして、それを見い出す者は少ない(マタイによる福音書71314)。」といわれました。

 自分の生活の周辺に目を向けて見ましょう。自分の手の中に本当にこれは自分のものだ!と思うものがあるでしょうか。「天の下にあるすべてのものはわたしのものだ」「御子(イエス)は見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また、見えないもの、王座も主権も、支配も権威もすべて御子によって造られたのです。万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです(コロサイ人への手紙11516)。」
 このことばを受け止め、信ずるとき、もう一度、世界を見る新しい目が開かれ、自分の世界、そして生きる意味と、新生の希望が与えられるのです。      

 

園長 山田 昭和