自然とともに、すくすく。のびのび。
三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

6月の聖句

今月の聖句

「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」

詩篇150篇6節

 

6月の聖句

 6月。陰暦は「水(み)無月(なづき)」―田に水を注ぎ入れる月―です。田植えも終わって、か弱い早苗(さなえ)がいっぱいに水を張った田の中にゆらいでおり、水面をつばめがスイスイと飛んでいます。今年生まれのヒナも練習中かもしれませんね。5月は「皐月(さつき)」。“早苗の月”の意で、稲のモミをまき、一方では色づいた麦の刈入れ(麦秋)があり、小鳥たちも巣立ちます。薫るような新緑の中で、打ちひしがれたように黄色になって葉を落とし、草臥れた(くたび)感じのするのは竹林です。竹の子に全エネルギーを吸い取られて弱り果てた親竹の姿です。これを、ある詩人は「竹の秋」と表現します。早春から初夏に至る3ヶ月ほど自然界では大地が萌(も)え、草木は芽を伸ばし、花を咲かせ、動物は子どもを育てます。日本の季節の移ろいは、いのちに満ちて美しく、修飾することばも美しい。自然は挙(こぞ)って神さまの栄光を顕しています。(詩篇65:10~)

 今月の聖句は、“息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。”です。詩篇の最終章最終節のことばです。「ハレルヤ」は“主をほめよ”の意ですが、「詩篇」という語も、ハレルという動詞から転じており、「賛美歌集」のことです。王様から詠み人知らずまで、数百年に亘る150篇からなる歌集です。“いかに幸いなことか…主(神)の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人(詩篇1:1-2)…その人は流れのほとりに植えられた木、(まきば幼稚園の今年の聖句)時が巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて繁栄をもたらす(3節)。」との言葉で詩篇は始まります。

 神を愛し、神を賛美してその人生を真っ直ぐに歩む人の人生は必ず実を結び栄えるのです。これが神さまの約束です。人の目(側)からすると、神さまはいつも一方的です。「あなた(神)は、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。御業(みわざ)がどんなに驚くべきものか、わたしの魂はよく知っている(詩篇139:13-14)。」と告白します。

 しかし、現実に生き、苦悩し、苦難の人生をおくる人は、「わたしの生涯は煙となって消え去る。骨は炉のように焼ける。打ちひしがれた心は草のように乾く。わたしはパンを食することすら忘れた。わたしは呻き、肉は骨にすがりつき、荒れ野のみみずく、廃墟のふくろうのようになった。屋根の上にひとりいる鳥のようにわたしは目覚めている。(詩篇102:4-8)」と。『貧しい心挫けた歌い人』は神の前に心を注ぎます。心挫けた他人が居るのではなく、わたくし自身が涙のその人です。
 しかし、たとえそうではあっても、「主を賛美するために民は創造された(詩篇102:19)」は、わたしたちの告白であり、「まきばの教え 問2」なのです。「わたくしたちは神を賛美するために造られた」「主の慈しみに生きる人よ 主に賛美の歌をうたい 聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。ひととき、お怒りになっても 命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる(詩篇30:5-6)。」

 わたくしたちが神を選んだのではなく、神さまがわたくしを選び、かえりみてくださいます。詩篇146篇から最終章までの5篇は、各章「ハレルヤ」で始まり「ハレルヤ」で終わります。そして、ついに150篇は、5節の中で10回「神を賛美せよ」が続き、今月の聖句6節で終わります。指揮者は全身全霊でタクトを振り、「ハレルヤ・コーラス」に全宇宙の生きとし生けるものは呼応します。

 今月も、まきば幼稚園に関わるすべての皆様に、よろこびの歌がありますように!

 

 

園長 山田 昭和