自然とともに、すくすく。のびのび。
三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

9月の聖句

今月の聖句

「沖に漕ぎ出して網を降ろし漁をしなさい」

ルカによる福音書5章4節

 

9月の聖句

 9月。夏休みの楽しかった想いを残して、新しく2学期が始まりました。また、ひとつ深みへと漕ぎ出して子どもたちも霊的に成長する時季です。プレイデーを通して協調性や友情が深まり、ありがとう礼拝を通して感謝する思いや、思いやりが、そしてクリスマスを迎えて神様の愛や神秘性に気づき精神的に成長します。

シモン・ペテロという人は、イエスさまの12人のお弟子さんの中でも代表者であり、中心人物でした。イエスさまのご生涯にも常に絡んで重要な役割を果たしました。情熱的で人間性の豊かさも弱さもありのままに生きながら、失敗も重ね、最後はイエスさまの愛に支えられて、キリスト教の福音の宣教のために殉じました。

 イスラエルの一つの有名な遺跡に「鶏鳴(ニワトリが鳴くの意)教会」があります。この謂れは、イエスさまが十字架におかかりになる前に、「シモン・ペテロよ、あなたはわたしが敵に捕らえられて十字架に渡される。今日、にわとりが鳴く前に、三度、わたし(イエスさま)のことを知らないと否定するよ」と予告されました。その時、「主よ、御一緒なら牢に入って死んでもよいと覚悟しています」と答えました。しかし、イエスが捕らえられて引いて行かれる時、遠く離れてついて行き、人々が中庭に座っている中に腰を下ろしました。すると、「ある女から」「ほかの人から」「別の人から」この人は「あの人(イエス)と一緒に居た」「仲間だった」「同じガリラヤの者」と云われると、ペテロはそれを否定し、「あなたたちの言っていることが分からない」と、言い終わらない内に「突然鶏が鳴いた(ルカによる福音書22章54~60節)」「主(イエス)は振り向いてペテロを見つめられた(61節)」「ペテロは外に出て激しく泣いた(62節)」とあります。 鶏鳴教会からゆるやかな細い坂道を5~60m登って行くと、「ここでイエスはペテロを振り向かれた」というプレートが立っています。私(山田)もこの前で激しく泣いたのを思い出します。もう40年程も前のことです。

 

 私たちの人生には、自分の仕事上の経験や、信念、そして自分自身すらも信じることが出来なくなるような場面に出くわすことがあります。

 夜を徹して漁をしても一匹の魚も獲れない中で、疲れと落胆の中で網を洗っていたペテロたちに、イエスは「沖(深み)へ漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と言われました。「エエッ!!」ですね。でも「先生、…お言葉ですから網を降ろしてみましょう」と。そのようにしたところ、「おびただしい魚がかかって、網が破れそうになり、仲間の船と2そうでも、沈みそうになった」といいます。そして、イエスさまは「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と云われペテロは船も網を捨ててイエスに従いました。

 イエスさまのまなざしはひとりひとりに、その人の未来と希望にいつも注がれています。かつて舟も網も捨てたペテロが、今は十字架にかかられたイエスに失望し、未来と希望を捨てて、再びガリラヤの湖畔に帰って漁をしていました。復活されたイエスさまは、再び湖畔に立ち、獲れた魚とパンで朝食を共にされました。その折、ペテロに対して「わたしを愛しているか」と言われ、ペテロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたが御存知です」イエスは「わたしの小羊を飼いなさい」と、三度も同じ問いと応えが繰り返されました。現在、この湖畔に「ペテロ召命教会」が建っています。

 わたくしたちの人生は、「深みに漕ぎ出して、網を降ろし、漁をしなさい。」この言(ことば)と、イエスさまの愛のまなざしの中でリセットされるのです。

 

 

園長 山田 昭和