自然とともに、すくすく。のびのび。
三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

2月の聖句

今月の聖句

「このように主によってしっかり立ちなさい」

フィリピの信徒への手紙4章1節

 

2月の聖句

 2月は「如月(きさらぎ)」。「生更ぎ(きさらぎ)」の意であり、厳しい寒さの中にも早や草木は更生し、芽を大きくふくらませます。自然の力強さです。上掲の1節は「キリストは万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。(フィリピ3章21節)」「だから、わたしが愛し慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主にあってしっかり立ちなさい(4:1)。」創造主である神は、全被造物(宇宙とその中にある全てのもの)を創造し、摂理をもって支配されます。

 聖書では、創造主である父なる神、世の救い主である神の子イエス、そして聖霊の神(聖書のことばを通して私たちに神の真理を教え、導き、理解させ、聖い者へと完成して下さる神)、この父・子・聖霊の神は「三位(さんみ)一体(いったい)」の神であり、創造し、摂理し救いを完成させる神です。

 神さまが最初に創造して下さった、人類の祖であるアダム(土の塵の意)は、神さまとの約束を守ることができず、神さまの言葉に聞き従うことが出来ませんでした。神さまは、この不従順の人を罪人(原罪といいます)としました。その故に神さまとのいのちの交わりを失い、死ぬものとなりました。私たちは、この罪をアダムからの遺伝子のように受け継いでいます。アダムの妻との間に不信が入り、その息子である兄はその弟を殺し、その子孫たちも悪を行い、不正やみだらなことをするようになりました。このことは私たちの周りにも現在起こっている出来事であり、人類の歴史や戦争や不正や、自然破壊の連続です。

 神さまは、この世の救いと完成のために「その独り子をお与えになったほどに世を愛された(ヨハネの福音書3:16)。」旧約聖書は、この独り子の姿について「この人は主(神)の前で若枝のように乾いた地から出た根のように育った。彼は見るべき麗しさも輝きもなく、望ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人に見捨てられ、痛みの人で病を知っていた。人から顔を背けられるほどに軽蔑され私たちも彼を尊ばなかった(イザヤ書53:2~3)。」と表現しています。神は独り子イエスに、人類の罪を負わせ、見捨て、苦しめ、十字架の上で罰して死に至らしめ、黄泉(よみ)(地獄)に降らしました。イエスは神の御旨に従順に服し、十字架の死と罰を受け入れました。そして、三日目に墓より甦り、天に昇り父なる神の右の座に就き栄光をお受けになりました。

 私たちの現実を「卑しい体」と表現されていますが、ひとり静かに自分を見つめますと、その裸の自分は見るべき麗しさも輝きもなく、望ましい容姿もない。孤独な世界にひとり投げ込まれて、その歩みはおぼつかなく、立つ姿は力なく、死を待つような自分を見る時があります。

 フィリピの手紙の送り手であるパウロは、『キリストは万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしの「卑しい体」をキリストの栄光ある体(復活する体)と同じ形に変えて下さる』だから「主によってしっかりと立ちなさい」と勧めています。二本の足で「すっくと立って、目を天のキリストの座に向け、希望をもって歩む。」これが本来の人間の姿なのです。私が「変身」するのです。丁度、水の中に住んでいたやご(水蠆・・・トンボの幼虫)が、時がくるとから(殻)を脱いで全く姿を変え空をとぶように変貌するのです。

 まきばの子どもたちは、この人間像をもって育ちます。

 

園長 山田 昭和