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三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

5月の聖句

今月の聖句

「あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」

イザヤ書43章1節

 

5月の聖句

5月は新緑の豊かな季節。香るような爽やかな風。一年中で一番新鮮な空気を感じる月です。しかし、一方で心の晴れない何かが片隅にあります。得体のしれない不安。恐れでしょうか。わたしたちの命は露(つゆ)のようにはかなく、人生は短い。今の時代という制約、文明の中に身を置き、衣食住さえ保障されず裸で生まれ、裸でこの世を去る無一物の弱い存在なのです。目に見えないウィルスにさえ、脅威を覚えているのです。

この私を始め、総てのものを創り、救い主である神は、その至高の座から“恐れるな”と言われます。イザヤ書43章1節は、「ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖(あがな)う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」です。

昔より、イスラエル民族の祖は「アブラハム、イサク、ヤコブ」と言われますが、ある夜、ヤコブは川のほとりで何者かと夜明けまで格闘しました。そして勝ちました。その時ヤコブは、その相手を捉えて去らせず、“祝福して下さるまで離しません”と粘りました。その方は、実は神さまの使いであって「お前の名はもうヤコブ(足のかかとをつかむ者の意)ではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ(創世記32:29)。」と祝福しました。

その神が、今、思い出して見よ「わたしはあなたを贖(あがな)った」と。イスラエル民族にとって、歴史上有名な「出エジプト」は、民族が400年の間奴隷とされていた悲惨な状況の中から、神が「わたしが贖い出した」と言われた壮大な物語です。

『十戒』という映画を想い出す方もおられるでしょう。神はイスラエル民族のうめきの声を聞いたとき、かつてパピルス(紙‘ペーパー’の材料になる水草)で編んだカゴに入れられ、ナイル河の葦(あし)の中に置かれていた赤ん坊のモーゼが女王に拾われて、王子として成人しているのを、神は名指しで呼び出し、出エジプトのリーダーとしました。民を去らせまいとする王ファラオと、モーセの駆け引きと対決は、10の「わざわい」をもって、神の人モーセの勝利となりました。エジプト脱出は、壮年の男子だけでも60万人と云われますから、少なく数えても、女と子どもと共に200万人を超える民族大移動です。時はB.C.1280~1230年頃。か弱いイスラエルの民族のシナイ半島、荒野の旅への始まりです。

ファラオは騎兵を集め、後を追います。前には海が道を阻(はば)んだとき、モーセが杖をかざすと海に道が開かれ、渡河を終えてエジプト軍が追って海道に入ったとき、海水は元に戻って王もろともエジプト軍はのみ込まれて滅亡しました。シナイ半島に入った民を、神は昼は雲の柱、夜は火の柱をもって前に行き、後に添って共に進み、40年の間守られました。天からマナ(パン)を降らせ、岩から水を湧かせ、生・病・老・死の生涯を経験しながら、世代交代がなされ新しい民とされました。

リーダーのモーセすら約束の地を目にしながらイスラエルの国に入ることが許されませんでした。この歴史の事実を神は贖いと云われます。か弱い私たちの人生も、神さまにいのちを支えられて歩む奇蹟の人生なのです。「あなたがたを襲(おそ)った試練で人間として耐えられないようなものはなかったはずです。

神は真実な方です。あなたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共にそれに耐えられるよう逃(のが)れる道をも備えてくださいます(コリント信徒への手紙Ⅰ 10:13)。」

 

 

園長 山田 昭和