自然とともに、すくすく。のびのび。
三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

6月の聖句

今月の聖句

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです」

ペテロの手紙4章10節

 

6月の聖句

 神さまの愛と恵みに支えられて、新たな思いをもって園の生活が再開されました。「患難(かんなん)が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すことを知っているからです(ローマ書5章3‐4節)。」よろこびと感謝でいっぱいです。

 さて、上記の聖句にある「賜物」の原語は「カリスマ」と言います。特別な人物に与えられた特別な能力や権威ではなく、“あなたがた”に“それぞれ”に与えられています。世界で唯一人のわたくしに、そしてあなたに、神さまは世界で唯一つの計画を各個のために立て、実現するための能力や知恵や力であり、他の人と比較したり、競争したりする類(たぐい)のものではありません。神さまが授けて下さった「美しいもの・善いもの=カリス」であり、わたくしが人生を全うしたとき「永遠」のいのちへと変えられるものです。

 4章8節「何よりもまず互いに心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」~10節「あなたがたは、それぞれ賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい」と記されています。

 「愛は多くの罪をおおう」とは、何と美しいひびきをもったことばでしょう。しかし、おおわれるその中身は悲惨な罪の現実です。すべて自己中心、自分第一(セルフ・ファースト)主義であり、隣人を傷つけるものや、罪深いものであり、それはやがてブーメランのように自分のところに戻ってきて、自己をも傷つけ、自分を苦しめ、自己卑下に陥ったり、劣等感になって、その生涯を暗いものにしてしまいます。他人にその賜物をさし出す勇気を失わせ、能力を生かせなくなります。私を訴えるその「罪状書」を、イエスさまは両手にしっかりと握りしめて、十字架におかかりになりました。その血潮は訴状をおおい、神さまの目にさえ触れることのないものとなり、忘れ去られたのです。「わたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いて下さいました(コロサイ書2:14)。」キリスト教会では、この十字架上での出来事を「贖罪(しょくざい)」-父なる神がその独り子イエスさまを十字架におかけになり、その血によって罪をおおってくださった愛―と呼んでいます。

 わたくしたちひとりひとりが「恵みの善い管理者として…」とありますが、マタイによる福音書の有名な「タラントン(通貨の額・能力の意)」のお話は、善い管理者の真意を教えています。 主人(神)が、それぞれの力に応じて、5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けておいて旅に出た。5・2タラントンを預かった者は、早速商いをして倍額に増しました。1タラントンを預かった者は、主人は不公平できびしい人だとつぶやき乍ら、そのお金を土の中に埋めておきました。主人が帰ってきて計算したとき、5・2タラントン預かった者には「忠実な善い僕(しもべ)だ、よくやった。主人と一緒によろこんでくれ(マタイ25:21-23)。」と言われました。1タラントン預かった者は「あなたのお金です。」と差し出したとき、主人は「怠け者の悪い僕だと断罪され、そのお金を取り上げて10タラントン持っている者に預けた(マタイ25:25-30)。」とあります。

 神さまが預けて下さった賜物を感謝して、互いに愛し合い、仕え合うことが、神さまのよろこばれる管理者なのです。互いに足らないところや罪をおおい(カバーする)合って生きることが愛なのです。豊かに賜物を頂いている園児たちが、その一生を祝されるように。愛と希望の毎日を共に過ごしましょう。

 

 

園長 山田 昭和