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7月の聖句

今月の聖句

「今日こそ主が造られた日。これを喜び躍ろう。」

詩篇118篇24節

 

7月の聖句

 7月。今年は特に短かった1学期が終わります。感謝です。

 詩篇118篇は「主(神)に感謝せよ。まことに主は恵み深い。慈(いつく)しみはとこしえに(1節)。」で始まります。そして、その民族の喜びと感謝のことばが最高潮に達します。イスラエル民族のその罪の故にバビロン(現在のイラク)に捕囚(ほしゅう)(奴隷(どれい))となりましたが、その敵国から、神によって救い出され贖(あがな)われました(B.C.539年)。第二の出エジプト(第一は5月号のお話)と言われる所以(ゆえん)です。帰国後、再び神殿(神の霊の住まい)が再建され(B.C.516年)、神殿の城壁工事が完成(B.C.445年)されて、国家的な特別な祝祭の行事に集まった民が交唱歌の形で歌ったと言われます。かの宗教改革者マルチン・ルターが最も好んだ詩篇歌とされ、キリスト教会では今月の聖句を含む22-24節は復活節(イースター)の詩節です。

 「家を建てる者の捨てた石が隅(すみ)の親(おや)石(いし)(最も大切な石)となった(22節)。これは主の業(わざ)、私たちの目には驚くべきこと(23節)。今日こそ、主が造られた(勝利された)日。これを喜び躍ろう(24節)。」と続きます。捕囚状態の民族がその長い期間を乗り切るために、旧約の預言者エレミヤは「その日が来る。…わたしは、わたしの民の繁栄を元どおりにする…彼らのその祖先たちに与えた地に帰らせる。町はその廃墟の上に建てられ…イスラエルを散らした方は彼を集めた羊飼いが群を守るように彼らを守られる(エレミヤ書30:3,18,31:10)。」と。

 預言者エゼキエルも「荒れ谷に散らばった人骨を集めて、神が息を吹きかけると骨は再構成されて生き返った。そして大きな集団となった(エゼキエル書37章)。」と、その民族の復帰と復活の希望を与えています。周辺諸国から捨てられたイスラエル民族が再び隅の親石となりました。今日、わたくしが在る(存在する)のは、浮草のように流されているのでも、偶然あるのでもなく、孤立しているのでもありません。「あなたがたは使徒や預言者からなる土台の上に建てられています。(エフェソ書2:20-a)。」神の選ばれた民としてのイスラエル民族は、カナンの土地を与えられ、国家を形成し、歴史の中に存在しました。そして、神は「わたしは必ずあなたと共にいる」ことを示して、預言者を通して御言をもって導き、主権と力を示されました。

 イエスの誕生も「ユダヤの王ヘロデの時代」であり、紀元前(B.C.)47年にローマの帝ユリウス・カエサルからガリラヤの行政を任され、実質上ローマ帝国の傀儡(かいらい)の王として、地中海に面した港に新しい町を建設してカイザリアと名付け、B.C.19年には王自ら神殿を再建しました。壮麗(そうれい)な建造物とローマ文化に包まれた新都エルサレム。そこから100km程はなれた人口2~300人の山里で「ナザレのイエス」は、歴史の人として生まれました。30歳の頃から3年程の公生涯(神の国の宣教)の後、ローマ帝国の法の下にあって、祭司や律法学者(宗教界)からも、集まった群衆からも捨てられ、12人の弟子たちも裏切り、去ってしまって、罪人の代表として独り、神に捨てられ、十字架上に死なれました。しかし、三日目に死から甦られ、弟子たちにもその姿を顕現され、聖霊を与えられました。弟子たちはイエスの復活の証人として「使徒」と呼ばれ、イエスによって世界宣教を命じられました。最後の言は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる(マタイによる福音書28:20)。」でした。

 このように、わたくしたちは預言者や使徒たちの証言の土台の上に、今日という新しい歴史の新しい日を生きるのです。その隅の親石はキリスト・イエス御自身であり、復活の主はわたくしたちを神殿として、わたくしたちの内に住まわれます。「今日こそ、主が造られた日(The day(主の) of(勝利) LORD’S(の日) VICTORY),この日を喜び躍ろう」

 

 

園長 山田 昭和