自然とともに、すくすく。のびのび。
三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

今月の聖句

今月の聖句

「いかに楽しいことでしょう 主に感謝をささげることは」

詩篇92篇2節

 

10月の聖句

 詩篇は150篇から成る賛美歌集ですが、5巻に分けられ、今回の聖句は第4巻(90~106篇)の初頭の箇所です。90~92篇は一つの流れで、90篇はイスラエル民族がバビロン(現イラク)に捕囚として奴隷の状態(B.C.586~539年の45年)にあったときの、91篇は解放され帰国が間近の時、92篇は帰国して安息日に神殿で礼拝を捧げた折の歌と考えられています。半世紀近い異郷での奴隷生活から自由の身となり、母国で同胞と共に礼拝を捧げるよろこびで溢れています。90篇は教会のお葬式の席(礼拝)でよく朗読されます。「あなたは人を塵に返し“人の子よ帰れ”と仰せになります。千年といえども御目(おんめ)には昨日が今日へと移る一時に過ぎません。あなたは眠りの中に人を漂(ただよ)わせ朝が来れば人は草のように移ろいます。朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい夕べにしおれて枯れていきますーわたしたちの齢(よわい)は七十年。健やかであっても八十年。誇れるものは労苦と災い。瞬く間に時は過ぎ去り、私たちは飛び去る(詩90:1-6、10)。」

いつ帰ることが出来るか分からない異国にあって、日々に自分の死と向き合い人生の儚さの中で、終末の日を瞑想することも多くあったでしょう。「メメント・モリMemento mori-死を覚えよ」というヨーロッパ中世の思想があります。死は生の隣に在り、生と死は表裏です。死と対峙(たいじ)し、死を直視するとき、わたくしたちはよりよく今を生きることが出来るのです。「たとえ千年を二度生きても、人は幸を見ない。すべての者は一つの場所に行くのだから(旧約聖書コヘレトの言葉6:6)。」 “一つの場所”とは、死です。「すべては空(くう)(短い、儚い、束(つか)の間の意)である。すべては塵からなり、すべては塵に返る(コヘレト3:19-20)。」このことばは人間創造に関する創世記の「土から取られたあなたは土に帰るまで額(ひたい)に汗して糧(パン)を得る。あなたがたは塵だから塵に帰る(創3:19)。」です。

「神である主は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者になった(創2:2)。」 人間(アダム)は土の塵(アーダム)から造られ、神から「命」の息を吹き込まれて「生」を得ました。死において「息」はそれを与えた神に帰り、体は土に帰ります。身体は本質的に土であり、傷つき病み、脆く儚い存在です。息としての霊魂も精神も風にゆらぎ、音や暗闇にさえおびえて呼吸は乱れるのです。息(生き)続けることは奇跡なのです。

「確かに、すべてに生きるものとして選ばれていれば誰にも希望はある。生きている犬の方が死んだ獅子より幸せである。生きているものは死ぬことを知っている。けれども死者は何一つ知らず(コヘレト9:4-5)。」 コヘレトは生きてさえいれば希望がある、と言い切ります。イスラエルに帰還することが間近になった民に、神は「主はご自分の羽であなたをおおわれる。あなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また暗闇に歩き回る疫病も、真昼に荒す滅びおも。千人があなたのかたわらに、万人があなたの右手に倒れても、それはあなたに近づかない(詩篇91:4-7)。」と命の約束と希望を与えられました。

「さあ、あなたのパンを喜んで食べよ、あなたのぶどう酒を心楽しく飲むがよい。神はあなたの業をすべて受け入れて下さった。いつでも衣を純白に頭に香油を絶やさないように。愛する妻と共に人生を見つめよ。空(くう)である人生の日々を。それは太陽の下、空(くう)であるすべての日々に、神があなたに与えたものである(コヘレト9:7-9)。」 食事を楽しみ、身なりを整え、家族を愛する、ごくごく日常的な日々を、束の間の人生を幸せに享受せよ。これ神の賜物。日々是感謝。

 

 

園長 山田 昭和