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三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

11月の聖句

今月の聖句

「わたしがあなたがたを愛したように 互いに愛し合いなさい」

ヨハネによる福音書15章12節

 

11月の聖句

 11月は収穫の季節です。食べものを与え、いのちを愛してくださる神さまに感謝する月です。11月10日は「ありがとう礼拝」を致します。

 旧約聖書の創世記1~3章は、神が天と地を創造され、すべての被造物を配置された創造物語です。6日目には、アダムとエバ夫婦(人類の元祖)を創造され、「神は言われた。わたしは全地の面にある種をつけるあらゆる草と、種をつけて実がなるあらゆる木をあなたがたに与えた。それは、あなたがたの食物となる(創:1章29節)。」

 創造主である父なる神さまは、植物も動物も人間も、「いのち」あるものを祝福して、その繁栄を約束して、雨を降らせ太陽の光を恵み、豊かに育まれます。更に人間に対して、自然界を管理する権能を与えられ、これを守り仕えるように命じました。また、エデンの園の中央に「命の木」と「善悪の知識の木」を生えさせ、その木の実を取って食べることを禁止されました。これが神さまの掟でした。掟に従わなければ死ぬと。「女(エバ)が見ると、その木はいかにもおいしそうで目を引きつけ、賢くなるように唆(そそのか)していた。女は実をとって食べ、一緒にいた男(アダム)にも渡したので、彼も食べた(創3:6)。」 私たちがこの世に生まれて一生の間、意識するかしないかにかかわらず、神の掟の下に置かれ、二つの道のどの道を歩むかをいつも選択しなければなりません。アダムとエバは、神さまの掟に従わず、悪を選び、神を愛する者ではなく敵対する者になり、いのちではなく死の道を選びました。私たちもアダムと同じ道を歩んでいますが、これを「原罪(げんざい)」といいます。「罪」とは、もともと「的をはずす」という意味ですが、人は弦(げん)(弓づる)の握りどころを間違えるのです。旧約の詩人が「人間」のことを「狂った(逆らう)弓を持つ者」と表現した(詩篇78:57)のも、宜(むべ)なるかなです。

 死の道とは、この世にある欲望の道、ありとあらゆる悪の思いであり、行いです。不信感、うそ偽りに始まり、ごまかし、盗み、詐欺、暴力、ねたみ、嫉妬、いじめ、虐待、これらは夫婦、親子、兄弟との間にもあり、創世記4章にはアダムとエバの息子、兄(カイン)が弟(アベル)を殺した記録があります。「肉の思い(神に逆らい敵対する)は死であり、霊の思いは命と平和です(ローマ書8:6)。」対比して、イエスさまは第二のアダムと言われます。ヨハネによる福音書15章1節で「わたしはまことのぶどうの木」と、ご自分について紹介的に語られました。新しい霊的イスラエル民族の象徴としての「ぶどうの木」、あなたがたはその枝であり、私につながっていれば豊かにいのちの実を結ぶと。「わたしが父(創造主)の戒(掟)を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも私の戒を守るなら、私の愛にとどまっていることになる(ヨハネ15:10)。」と言われ、今月の聖句「私があなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである(ヨハネ15:12)。」です。「何よりも互いに心から愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆(おお)うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。あなたがたはそれぞれ賜物を授かっているのですから、神さまのさまざまの善い管理者として、その賜物を用いて互いに仕えなさい(ペテロの手紙Ⅰ4:8-10)。」 私たちも、それぞれの立場で仕えあい、互いに覆(おお)い(カバー)しあい、祈りつつ、「いのちと平和」の道を歩んでいきましょう。素敵な11月の日々になりますように。

 

 

園長 山田 昭和