自然とともに、すくすく。のびのび。
三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

5月の聖句

今月の聖句

「安心して行きなさい」

マルコによる福音書5章34節

 

5月の聖句

 「風薫る」と表現されるように、5月は新芽が出揃い、緑の香りを発し、早苗を渡るさわやかな風を運んで来ます。桜も早く、つつじも今年は4月中に終ったようです。季節が少し早く進んでいるのでしょうか?青空の「鯉のぼり」の風景も今年は見えません、一年以上も続くコロナの重圧が風物詩をも変えてゆくのでしょうか。明るく一歩を始めようとする心をくじくものがあるのでしょう。

 「安心して行きなさい」今月の聖句は皆さまにどのように響きますか?イエスさまは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マルコ1:15)」と、神の子として公けに宣教活動を始めました。各地で神の子として数々の不思議な業—重い皮フ病の人のいやし、身体が麻痺して永い間、動けなかった人、手の萎(な)えた人、汚れた霊にとりつかれて自分の体を傷つけたり、正常な行動が出来なくなった人たちを癒(いや)されました。また、ガリラヤ湖の激しい突風を静めるという自然への支配など―をなさいました。これらのことは、当時の多くの人たちや、宗教界に動揺や、希望を与えました。イエスさまの身辺もあわただしく、今回も弟子たちと御自分の郷里に向かおうとされた途上、会堂に仕える長のヤイロと言う人が、自分の12才になる娘が重い病で死の床にあります。イエスさまに手を置いて祈って頂ければ、娘の命は助かりますと、その信頼と願いを強く訴え、イエスさまはその家に向おうと道を急がれた、そこに割り込むように今回の出来ごとがおこりました。

 12年間も重い血の病を患っている女、と表現されていますが、12年間と言う表現は、生きて来たその全ての時間と言うような表現です。しかも、血の病は、宗教的には罪に汚れた者と見なされ、社会生活でも、致命的で、社会に受け入れられない日々の生活でした。あちらの医者が良いと噂さに聞けば掛かり、こちらによい祈祷師が居ると言えは訪ね、あらゆる手をつくしましたが、だまされる結果で、その財産を使い果たし、行き場のない末に、イエスさまの最近の業のことを知ったのでしょう。「イエスのことを聞いて、群衆の中に紛(まぎ)れ込み、後ろからイエスの衣に触れた『せめてこの方の衣にでも触れれば治していただける』と思ったからである。すると、すぐに出血が止まり、病苦から解放されたことをその身に感じた(マルコ5:27~29)。」「イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気付いて群衆の中で振り返り、『私の衣に触れたのは誰か』と言われた(30)。」「女は、自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震(ふる)えながら進み出てひれ伏(ふ)し、すべてをありのまま話した(33)。」イエスは言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。病苦から解放され、達者でいなさい(34)。」“人ひとりが、その人生を安心して生きる、と言うことは易しいことではありません。誰かに保護され、守られている未成年時は、ともかくも、社会人として受け入れられ、生活の糧を得るための能力と、その維持、即ち、経済力や信頼されること、そして、その根底には、いつも精神的・肉体的にも健康であることが前提であり、全人的なものが必要です。ひとりの娘がイエスさまに秘かに触れて、病気が癒されたと、いうことでなく、イエスは、ひとりの娘が社会的に差別されることなく受け入れられるように群衆の前に、その姿を認めさせ、「貴女の帰るべき安心の場に行きなさい。」病苦から解放され、達者でな!と祝福されました。何と言う罪からの救い、解放感、よろこびでしょう。

せめて、後ろからでも、そっと....。小さな信仰から一歩!を始めましょう。

 

 

園長 山田 昭和