自然とともに、すくすく。のびのび。
三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

10月の聖句

今月の聖句

「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

ルカによる福音書10章20節

 

10月の聖句

 10月は収穫の季節と共に、楽しみにしているプレイデーがあります。元気で明るく神の子・光の子として過して欲しいです。互いにイエスさまの喜ばれる業に励みましょう。

 私は、イエスさまが今朝、一杯のコーヒーを手にし乍ら新聞に目を通されたら、朝礼で、どのようなお話をされ、どのような一日の行動をされるだろうか?と思うことがあります。
今の時代は、いろいろなことが曖昧(あいまい)であり、複雑にからまっており、不確実で分かりにくく、絶えず変化しています。何が正しいことなのか?基準は何か?何が価値あることなのか?よろこんでよいことなのか?生きる目標、ゴールは何か?10月のみことばは「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」です。
イエスさまの行動の面から、聖句の背景、当時のことを少し考えて見ましょう。イエスさまは、30才になった頃、ご自分が旧約聖書の時代から預言されていた、メシア(救い主)であること、人類を罪から救い、永遠のいのちと平和を与える、神の子であることを公言され、宣教活動を始められました。生れ古郷のナザレの村を出て、ガリラヤ湖と言う大きな湖の辺で、まず四人の漁師を弟子とした後、村々、町々を巡って伝道し12人の弟子を得ました。神の子として、人々を癒(いや)し、不思議な業(わざ)をなさいました。しかし、神の子としての本来の業は、エルサレムの都に上り、十字架にお掛りになり、死んで復活すること。死に勝利して、救い主の業を完成することでした。
今回のみことばの箇所は、イエスさまが、ゴールとしてのエルサレムにその顔をまっ直に向けられ、歩み始められた途上で、12人の弟子とは別に従う者の中から72人を選び、2人ずつペアーにして、それぞれ町々に派遣された時のお話です。
“どの家に入っても「この家に平和があるように」と祈り、その町の病人を癒し、「神の国はあなたがたに近づいた」と言いなさい(ルカ10:5、9)”そして、悪の霊にさえ打ち勝つ権威を授けられました。72人は、喜んで帰って来て、「主よ、お名前を使うと悪霊どもでさえ、私たちに服従します(10:17)。」と報告しますと、「悪霊どもがあなたがたに服従するからと言って喜んではならない。むしろあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい(10:20)。」と、言われました。
人生に勝利する、とは、永遠のいのちを頂くことです。イエスさまがエルサレムに上られるのは、メシアの平和、メシアの救いの完成であり、勝利を私たちに約束されることでした。肉体の死によって総てが終るのではなく、イエスに従う、ついて行くと言うことは、私が「祝福の中にあるもの」として、その名前が天に書き記されていることを喜び、人生を歩むのです。
「宝は天に積みなさい」「あなたがたの宝のあるところにあなたがたの心もあるのだ(マタイによる福音書6:20~21)。」よい業は天について行くのです。この世の業とは、肉の業と呼ばれ、空しくて実を結ぶことなく亡に至ります。「淫行(いんこう)、汚れ、放蕩(ほうとう)、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬(しっと)、怒り、利己心、分裂、分派、妬み、泥酔(でいすい)、馬鹿(ばか)騒ぎ(さわぎ)(ガラテヤ信徒への手紙5章19節)。」「これに対し、聖霊の結ぶ実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制であり、キリスト・イエスに属する者は、肉と情欲と欲望と共に十字架につけたのです。私たちは霊によって生きるのですから、霊によってまた進もうではありませんか(ガラテヤ5:22~25)。

どのような時代の嵐の中でも、イエスさまに従い、ついて行く、子供たちの育成、本当の喜び、価値あることは何かを見分けられる子供たち、まきばの子。
私たちは、みんなイエスさまが名前を覚えて下さっている、父母・教師として、主の霊によって生かされて行きたいと、願い祈ります。よい実りの秋、健康な秋でありますように!

 

 

園長 山田 昭和