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三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

12月の聖句

今月の聖句

おめでとう、恵まれた方。」

ルカによる福音書1章28節

 

12月の聖句

 今月は、イエスさまが救い主として、この世に来てくださったことをお祝いする月です。“天使は言った「恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生れになった。この方こそ主メシア(救い主)である。あなたがたは布にくるまって飼い葉桶(かいばおけ)の中に寝ている乳飲(ちの)み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるし(エビデンス)である(ルカ2:10~12)。」”

天使のこの福音はダビデの町と言われたベツレヘムの郊外の野原で、羊飼いたちに告げられたのです。
当の、イエスさまは、町の宿屋が住民登録のために集まって来た民衆のために密(みつ)となり、泊まる部屋がなく(NO ROOM)、飼い葉桶(かいばおけ)の中に密(ひそ)やかに眠っておられました。天使たちが去ったとき、羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムに行こう。主が知らせてくださったその出来事(できごと)を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
その光景(ファクト)を見て、羊飼いたちは、その幼子(おさなご)について天使が話してくれたことを人々に知らせた。…マリヤはこれらの出来ごとをすべて心に納めて思い巡らしていた(2:15~19)。
イエスの誕生の当時、ユダヤはローマ帝政の支配の下にあり、皇帝オウグストウスの傀儡(かいらい)のようにヘロデが王座に着いて居ました。ユダヤ人のためには神殿も再建し、皇帝のためには、ローマ風の街づくりを行い、地中海を中心とする国際社会でイエスさまの誕生の数年前にはオリンピックも開催しました。
しかし、晩年には病的な程の残虐性(ざんぎゃくせい)を現し、親族、身内も信じられず妻を殺害し、東方からの博士たちがエルサレムの宮殿を訪ねて来て「ユダヤ人の王としてお生れになった方はどこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので拝みに来たのです。これを聞いてヘロデ王は不安を抱いた(マタイ2:2~3)。」そして、博士たちが帰った後、「人を送り…ベツレヘムとその一帯(いったい)にいる2歳以下の男の子を一人残らず殺した(マタイ2:16)。」とあります。
民衆は真のメシアを心から渇望していたのです。さて、このヘロデの宮殿から120キロほど離れた人口200人余のナザレの村に天使ガブリエルが神から遺わされました。「おめでとう(喜べ)(アベ・マリア)恵まれた方。主があなたと共におられる(ルカ1:28)マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエス(神は救い)と名付けなさい(1:30~31)。」と告げました。
マリアは「私は主の仕(つか)え女(め)です。お言葉どおり、この身になりますように、“私の魂は主を崇め(マグニフィカート)私の霊は救い主である神を喜びたたえます。この卑(まず)しい仕え女に目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も私を幸いな者と言うでしょう。力ある方が私に大いなることをしてくださったからです(1:46~9)。」と告白し、神を賛美しました。
この時、マリアは10代半ばの処女(おとめ)でした。神の一方的な恵みを受け「主の母」に選ばれたのです。世界の歴史と、人類の希望に神は大きく介入されたのです。

日本はその頃「弥生時代の幕開け」であり、登呂の遺跡に見られるような稲作が始まっていました。
イエスの誕生後、マリアと夫ヨセフは殺害の手を逃がれて、エジプトに行き、王の死(BC.4)を知って、ガリラヤのナザレに帰り、その住人となりました。両親は毎年過越祭(すぎこしさい)の時にエルサレムに上りましたが、イエスが12才の時に伴って、帰った後は、「両親にお仕えになった。…イエスは神と人とから恵みを受けて、知恵が増し、背丈も伸びて行った(ルカ2:51~2)。」とあります。
その後のマリアは、イエスが公けに宣教活動を始めて、カナに於ての最初の奇蹟「婚宴の席で水をぶどう酒に変えた」場に、招かれ手伝っていました。最後は、十字架の下に、家族と共に佇んでいた場面です。イエスさまの他に、四人の男子と二人以上の女子の母となりました。
イエスの死と復活後にエルサレム教会が形成されて行きますが、兄ヤコブは長老として中心的役割を果し、聖書に「ヤコブの手紙」を残し弟ユダは「ユダの手紙」を残しています。マリアは従順な神信仰に生き、いつの世にも「幸いな人、よき信仰者」と呼ばれ、キリストにおいて「恵みと希望」の星です。喜べ(おめでとう)、恵まれた者、主が共にいて下さる。

 

園長 山田 昭和