自然とともに、すくすく。のびのび。
三重県四日市市の
小川の流れる幼稚園です。

2月の聖句

今月の聖句

その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。

マタイによる福音書10章12節

 

2月の聖句

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結び久しくとどまるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」これは鴨長明(かものちょうめい)の「方丈記(ほうじょうき)」の書き出しの一文です。
私たちの生きている一面を浮き彫りにし、また日本人の心情をよく表現しています。“うたかた(水泡)”としての人生は儚(はかな)く刹那的です。聖書に示される人生も大河の流れのように、旅人として表現されます。今日と言う一日も、その途上であり昨日と異る今日を生きています。

 しかし、個としての“そのわたくし”は血を受け継ぎ神の大きな“ことば”によって捉えられ、ある意味「命令」によって導かれ、支えられて生きています。神はいつも目を止め、私を探し出し、働きかけて来られます。
聖書の宗教の父祖は、アブラムでしたが「諸国民の父」を意味する「アブラハム」と呼ばれるようになり、キリスト教だけでなく、旧約聖書を持つユダヤ教でも、イスラム教でも、アブラハムは偉大な民の父祖です。
「主(神)はアブラムに言われた。『あなたは生れ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。』…アブラムは主の言葉に従って旅立った。
アブラムはハランを出発したとき75才であった(創世記12:1~4)。」「『わが神、主よ、わたしに何を下さるというのですか。すでに年75才であり、妻も年をとっています。私に子供がありません。』…神は彼を外に連れ出して言われた『天を仰いで星を数えることが出来るなら数えてみるがよい』そして言われた『あなたの子孫はこのようになる』アブラムは主を信じた。
主はそれを彼の義と認められた(創15:1~6)。」「あなたがたに霊を授け、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それともあなたがたが福音を聞いて信じたからですか。それは『アブラハムは主を信じた。それは彼の義と認められた』と言われているとおりです。…信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています(ガラテヤの信徒への手紙3:5~9)。」

今日の聖句は“イエスさまがその弟子たちを派遣するとき「平和があるように」とあいさつしなさい”と命じられました。それも失われた羊のところに行きなさいです。自分の存在、生きる意味を見失いそうになっている人たち、にです。
日本は治安もよく、医療制度も整い、世界の中で良い方です。しかし、感じている幸福度は56位。子供の精神幸福度は、先進38ヶ国中の37位です。自死率は世界で第一位です。これらの意識は日本人の人生観や人間関係の問題です。自分が愛されてここに居る存在。この世に生きている、生かされているだけで存在の価値がある。と言う一番大切な基本原則が教育によってなされていないのです。
「その家に入ったら『平和があるように』と挨拶しなさい。」挨拶、そのものが「シャローム」であり、まず神さまとの関係の中に平和があり、同時にそこから来る心の平安と穏やかさが得られますように。互いに旅人としての人生を活きる、その出合いの中で「平和と平安」を祈り合うのです。
まず、イエスさまが神さまと私たちの間に和解と平和を造って下さった「仲保者(ちゅうほしゃ)」です。橋渡しして下さった「祭司(さいし)」です。キリストに従う者は、みんな「万人(ばんにん)祭司(さいし)」と言って、いつも「執(と)り成(な)し」の祈りをする「橋」となるように求められます。(1)神と人(2)神と自分(3)私と他者(4)人と自然との間に、和解と平和を祈ります。

まきば幼稚園の「教育目標」です。2020年の4月のコロナ対処の第一回の「おしらせ」で、園ではアッシジのフランシスコ(1182~1226)の「平和の祈り」を祈ることを宣言しました。良く知られた世界の祈りで、教職員の朝礼で祈っています。フランシスコは、上記(1)~(4)の執り成しを生涯かけて行動した修道士でした。
園長は同じ頃、市長に「自殺防止」のための電話相談室の開設を訴え、市役所の一室を開放して頂き、現在9名のボランティアで実施しています。自分で出来る身近なところから「橋」をかけましょう。園児がこの「平和があるように」の挨拶をする習慣の身につけ、祝福された生涯の旅を続けるよう祈ります。

 

園長 山田 昭和